社会の担い手
まだまだ若いものには負けられん。。。これって『死語』でしょうか?
先日の認知症の記事にも書きましたが、高齢化が進んでいるのは事実です。
昔話はあまり好きじゃないですが、大事なことなので書きます。
今から20年以上前は、『仕事は見て覚える』とか、『家庭を持って一人前』とか平気で言っている時代でした。
私は、この考え方を含め、昭和の時代までの考え方は間違っていないと思っています。
問題は、『なぜそうなのか』を正しく理解していない人まで言っていたので、当時の社会の中で本質が変わってしまったり、相手を押さえつけるための『プロパガンダ』的なものになっていたように思えます。
また、少数の意見を差別的な表現で、もみ消していたような面もありました。
『パワハラ』『セクハラ』『モラハラ』『ロジハラ』など。今はそうした職場環境改善の取り組みも進んでいますよね。
★プロパガンダ(宣伝)
まず宣伝は、「宣伝する側が自ら意図する方向へ、多数の人を導くコミュニケーション」と定義されています。 さらに宣伝は、英語で「プロパガンダ」と訳され、欧米では特定の主義や思想を政治的に宣伝するという意味合いが強くなっています。 一方PRは、「客観的な事実を中立的に伝えるコミュニケーション」と定義されています。
古い手法からの脱却
古き良きものと、時代とともにダメになったものがあります。
『ディベート力』と言う言葉をご存知でしょうか。
国会議員のやり取りなどを見ても、議論が進まないですよね。
これは、会社の会議などでも同じで、とりあえず集まって言いたいことを言い合って、終わってしまうような『無駄な時間』に見えます。
ディスカッションやディベートは理解しているはずなのに、実際に国の最も大事な討論の場でそれが生かされていないのは残念です。
ディスカッションとは
ディスカッションとは、議題について、複数の人が意見を交換し、結論を出すためのコミュニケーション方法です。
参加者は他者の意見に基づいて自分の意見や視点を変えることができます。
目的は、共通の理解や解決策に向けて作業することです。ただし、ディスカッションにはグループ内での意見の相違やディベートが含まれるケースもあります。
この最終的な目標は、議題について共通の理解や解決策に向けて作業するところにあります。
ディベートとは
ディベートは、2つの対立するチームが議論し、それぞれの立場を主張し、防御するプロセスです。
ディベートの目的は、自分たちの主張が相手チームよりも強く、より妥当であることを相手や周囲に説得することです。ディベートでは、参加者は議論の過程で自分たちの立場を変更することはできません。
こういう事から、『論破』とか言って相手を打ち負かす事ばかりに注目が集まるんですね。まるでゲームのような感覚です。
記事にもあるように、本来の目的は『議論を通じて説得すること』であり、相手を打ち負かすことが目的ではありません。
相手を説得するためには、冷静に自分が正しいと思う事を多くの人達に共感してもらわなければいけません。
ディベート力をつけることで、普段から冷静に常識的な行動や思考をする能力を培うことが出来ると思います。
どうしても、『弁がたつ人にはかなわない』とか、『屁理屈』といって議論に向き合わないひとも出てきます。
自分の主張が通らないから、陰で悪口を言ったり、フェイクを発信したり、時には暴力や差別と言った行動に駆られる人まで出てきますよね。
最悪の場合、京都アニメーションの事件のように発展するかもしれません。
私が最も気になったのは、この世代間の強みや弱みの認識です。
まさに、この『弱み』の部分が正常な社会参加を妨げ、強みの部分が悪用されていますよね。『ディベート力』の多くは、マニュアルを見てできるものでは無いと思っています。対人的な様々な成功・失敗の経験から学ぶものだと私は思います。
そして、大人はこれからの世代の担い手に対し、敬意をもって『失敗談』や『経験談』を伝えていくべきではないでしょうか。
これは、情報を受ける側も『先入観』を持たず、冷静に情報の取捨選択をして、自分の成長につなげたら良いと思います。
私は、これからの20代、30代の方には自分の好きな人の話だけに偏るのではなく、苦手な人の話も冷静に聴き取れる心のゆとりを持って欲しいと思います。
行政やメディアなどは、多種多様な意見や情報を、その声の大小も正確に伝わるよう偏りなく発信してほしいですよね。