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誠実さと謙虚さ

機転の利いたアナウンサー

405鈴木健二
『物は言いよう』と言いますが、私はアナウンサーと言う仕事は真面目にニュースを読む人だと思っていました。ところが、子供の頃『クイズお笑いゼミナール』と言う番組でこの方を見た時にそのイメージが変わりました。アナウンサーと言う真面目なイメージの中にユーモアのセンスを持つというところにひかれた人も多いのではないでしょうか。

正しく伝える事

昨今の紅麹報道に関しても、健康やサプリメント、医療制度や健康志向に対して無知なメディアやコメンテーターは、誰かを攻撃することに躍起になっています。
そのスタンスは、政治や経済の問題、芸能やスポーツにまで及びます。そこに柔軟性や謙虚さ、誠実さを感じる事はありません。
紅麹被害なし
新聞には、原料使用の173社において健康被害なしと報道しています。
ただ、被害が出ていないのは消費者であって、原料を信用して使っていた173社は『被害者』なわけです。そうした会社に対しても、被害と無関係な『紅麹』を扱う企業に対しても、平気で不安を煽るような報道を続けるマスコミはいかがなものかと思います。

辛いこともある

人のうわさや情報の拡散は速いです。称賛も非難もあっという間に広まります。冒頭の鈴木健二さんは『気くばりのすすめ』という本を執筆されています。

405鈴木健二本
ただ、当時大ヒットしたこの本も、《心やさしい著者は、現代社会のギスギスした人間関係を憂えて、本書をものしたのかもしれない。しかし、気くばりも、ここまで方法化してしまうと、真心は失われて、妙に噓っぽくなる。気くばりに出会うたびに、これからは一々挨拶しなければならなくなるみたいで、よけいな気苦労を背負いこまされた感じである》と評されたり、タモリさんからは、《気くばりというのは、単なる処世術でしょう。技術に長けろと言っているわけでしょう。これは危険なことだと思いません? 夢窓国師かなんかが言った「本分をもって人に接せず」というようなことばがあるらしいんですけど、(中略)いつもフラットな気持ちで、無の状態で人と会えば、ほんとうにわかり合える。そうじゃなくて、技術を使えというふうに言っているわけでしょう。くだらん処世術を》と言われ、さらに 《あれを全部習得した人間が自分に近づいてきたら、絶対オレは信用しません。礼儀正しいやつには、絶対裏があるというのがオレの持論だから》とも言われています。
こうした内容が面白おかしく発信されると、せっかくの『気くばり』そのものが色褪せてしまいそうですよね。

では、書いた本人は本当に処世術としてヒットさせるために書いたと思いますか?
100人が100人素直に思いを受け取ってくれるわけではありません。私は、これに関しての鈴木さんの答えにとても共感しました。

出来ない『気くばり』

まるで、気くばりは真心のない表層を装うだけの技術にすぎないと批判されていますが、鈴木さんが本で書いたのはそもそも方向が逆で、いまの日本人が他人に対して思いやりの心はあるのに、技術がないために行動がともなわないことを憂えたからのようです。

そこで引き合いに出されたのが、松葉杖をついた人が電車に乗ってきたときや、目の不自由な人が道で方向に迷っているところに遭遇したら、どう対応すべきかということでした。

ロングシート
もし電車のロングシートの真ん中の人が席を譲ったとして、相手は坐るのに何の支えもないまま、松葉杖を片方の脇の下に束ねて後ろ向きにならなくてはいけないので、ありがた迷惑になりかねない。だが、シートの端には手すりがついているので、そのすぐ脇の席を空けてあげれば、相手は手すりにつかまって立つことも坐ることもできる。


確かに、どう接したらよいのか、どう声をかけたら良いのかわからずに行動できない人も多いかもしれませんね。普段からやっていないと簡単に声をかける事は難しいでしょう。そしてこう続けてます。1982年、今から42年も前に既にこう言ってらっしゃったわけですね。

こうした思いやりの技術を、皆が持ってはじめて、心のある社会をつくることが可能になるのであるし、その上に社会福祉は成り立つのである。本当は問題はきわめて簡単なのだ。それはお互いが相手に細かい自然な気くばりをすればいいだけなのである。それがいまの日本人にはできないのだ。

また、こういう事も言ってあります。
ニュースも番組も、組織が何を、どのように伝えたかが大切なのであって、その前方に個人がのこのこ出て行くべきではないと考えている


マイク
アナウンサーとしてのプライドや意識も高かったのでしょう。報道やニュースが何たるかを理解し、またその組織(メディア)が責任を持つべきなのだという提言でもあると感じます。
結果、民放では水が合わずにテレビへの露出がなくなったように思えます。

石垣
こうして一つ一つ積み上げられてきたものは、揺らぐことなくしっかりと土台を作ります。
どこかに歪が出来たり、欠けたりしていけばいずれ崩落するかもしれませんよね。

信頼とはそうした積み重ねから生まれるものではないでしょうか。わたしももう少し『気くばり』を学ばなければとあらためて感じました。



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