人が人を裁くことは正しいのか
最近の話題に関しては、人の『狂気』的な部分を感じる事があります。
同じ話題にマスコミが固執していたり、そこから噂話が発展して、犯罪者でのないのに犯罪者のような扱いをされたり。
また、『注目を集める人』については異常なほどに報道を続けます。
特に芸能人やスポーツ選手に関しては、様々なゴシップ記事やプライベートにまで干渉されるような事態になっていますよね。
そうしたニュースに対して、『世論』という傘にかくれて不満を発散させるのが、ヘイトスピーチや誹謗中傷投稿などでしょう。それを煽ってお金儲けをする週刊誌やワイドショーなどに対しても私たちは冷静に対処しなけばならないと私は思います。
本来、人が人を裁くことは出来ません。なぜなら、私たちの倫理観の中には『人は平等であるべき』という考えかたがあるからです。優劣をつけたくなるのは、自分の価値観の押しつけであり権力や暴力をもってその主張を押し通そうとするのは間違いです。
世論の狂気
ある精神科医の話としてこういう話がありました。
世の中は、悪者探しで盛り上がることが少なくありません。なにか目立った問題がとり沙汰されると、関連する人物が槍玉に挙げられて、過去の発言との矛盾点などを次々とあげつらうなど、SNSで炎上したりします。こうしたことは匿名性の高いSNS社会になって加速していますが、大なり小なり昔から起きてることです。悪者を責め立てると胸がスッキリして、気晴らしになるんですね。
なんの理由もなく、誰かを攻め立ててスッキリしていたら、これはいじめになってしまいますが、悪者探しも紙一重なところがあります。
情報に振り回される人たち あえてやる人たち
更に話はこう続きます。
悪者探しは実際に大きな問題が生じており、被害者もいたりする。そんなことを起こしたのは、この人であり、関連する人も責任逃れはできない。そんな正論が成り立つと、ある種のいじめが正当化されるわけです。
そして、正論をかざして堂々と当事者や関係者を叩きのめす。これはあたかも、魔女狩りのような制裁です。世の中はある種のポジショントークが好きなんですね。
誰かが炎上したとき、たしかに当人に非があるとはいえ、その人を悪者にして寄ってたかって叩く。そこに事実だけでなく、憶測によるストーリーも加わり、なにが事実でなにが憶測かもわからなくなり、ポジショントークがひとり歩きすることもあるんですね。
悪意はないものの、仕事で大きなミスしてしまった。すると、そのミスの経緯や背景を洗いざらい調べられる。それは問題解決のためという正論のもとに行われますが、ミスをした当事者からすると居たたまれない気持ちになります。
ついには閑職に移動させられたり、自主退職を迫られることだってあるでしょう。
松本人志のこと
テレビで連日報道されているこの件に関しても同じように感じました。
日本では、もし『誤報だった』としても被害者が多額の賠償を取る事が難しいです。
まだ、どこまで重大な問題だったのかは確定していません。被害にあったという人たちと加害者と言われている側の双方の主張があるでしょうから。それは今後明らかになるのかもしれません。
ただ、それが私たちにどうかかわる話なのかは分からないし、娯楽として人の不幸を眺めているのはおかしいと思うので、私は『疑わしき』話は、はっきりわかってからきちんと報道すべきだと思っています。
この人たちは何者?
歴史の中で『魔女狩り』と言うものがありました。魔女だと訴えた人たちは一体何者だったのでしょう。直接の被害者なのか、そうじゃない人が人のうわさやなんらかの情報を基に言い出したのか。
後者であれば、その人たちは一体何者なのでしょうね。何のためにそんな事をしたのでしょうか。
魔女に仕立て上げられたのは、人から妬みを受けたり何らかの恨みを持たれた人かもしれません。
北欧ノルウェーには『魔女裁判の犠牲者達のための記念館』というのがあるそうです。
かつてヨーロッパ各地で行われた魔女狩りは、17世紀にはこのノルウェー・フィンマルク県でも裁判によって多くの女性たちが魔女とされ、無実の罪で処刑されたそうです。Vardøはその中心地であり、当時人口3,000人の寒村で、少なくとも女性77人、男性14人の計91人もの方々が犠牲になっています。魔女狩りは市の主導によって行われたこともあり、そうした記録が当時の公文書に残されているのだそうです。
人口に対しての割合で考えたら当時のヨーロッパでどれだけの人が無くなったのか恐ろしと思いませんか。みなさん、本当に『魔女』はいたと思いますか?
かつて、天文学者のガリレオは、地球が丸いと言っただけで迫害されました。今では、地球が丸いことは証明されていますが、当時は間違った認識を広めていると言われたわけです。
権力を持つ人がダメだといえば、周りの人たちは徹底的に迫害します。人間の醜い部分なのかもしれません。
思いやり社会と法の支配
自然や命へ敬意を払う事は大切です。ただ、生命の危険を回避する事も必要です。
鳥獣の扱いに関しても、動物愛護団体の話がとりあげられると『けしからん』と行政にクレームを入れたりする人がいます。劣悪な環境で動物を飼育しているような話とは別物なのですが、正しく情報を伝えないと、混同してこうしたおかしなクレームを言う人が出てきたりするのです。
愛護団体の中にも、感情論ばかりで話が通じない人もいます。金儲けの団体もあります。モラルや道徳観の話なのか、法や専門家の検証のもと判断されたことなのか、私たちも見極める必要がありますね。
あらためて、情報を伝える側と受け取る側が、どちらも『正しく知る事』の大切さを感じます。