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教育と根拠

専門機関の重要性

桐島容疑者逮捕1.27
極左暴力集団で指名手配されていた犯人が見つかったニュースがありました。

極左暴力集団(過激派)とは、平和で自由な民主主義社会を暴力で破壊しようとしている反社会的な集団であり、その成立の経緯や信奉する理論などから、様々なセクトに分かれています。中でも革マル派は、表面上、その暴力性を隠して市民運動に参加したり、主要産業の労働組合等への浸透を図り、組織の拡大に向けた様々な活動を行っています。

と北海道警のサイトに書いてありました。

右翼とか左翼とか、良くわからない人がほとんどじゃないでしょうか。おそらく、今の中高年層の方々がなんとなく知っている感じでしょう。そもそも、物事には賛成する人と反対する人が一定数います。それぞれの価値観や考え方がありますから。

ニュースでも聞く『保守派』と『リベラル派』というものがこれに当たります。極簡単に言うと、これまでのやり方を尊重するか、否定して変えていくかと言うことです。
みなさん、ネットで調べてみてください。真逆のニュアンスで書いてあるところが多いです。

こんな書き方です。
右翼(右派・保守)とは、伝統的・歴史的に作られてきた慣習、制度、思想、文化などについて、歴史の中で淘汰されてきたものだから価値があると考える立場のことです。

一方左翼(左派・革新)とは、過去の伝統より人間の理性の力を信じ、理性の力で描いた理想に向かって現実の社会を変革していこうと考える立場のことです。

一見、保守派頑固で、左派は柔軟なように見えます。でも、過去の伝統を作ってきたものは何でしょう?理性を作ったもは人が本来持つ『心』だと私は思っています。逆に、理性は時代背景や環境変化によって変わっていきます。その都度、デモや反対運動があって、でも結局変えなくてよかったものや、また元に戻すことも多々あります。

私が、デモや反対運動に否定的なのは、なぜ正攻法で挑まないのかと言うことです。
そこに信念があれば、人の心に響けば必ず人はその方向に導かれていきます。大谷翔平が二刀流を実現させたように、やり続けることこそが未来を作ります。

勘違い
議会前で歌ったり騒いだりしても、法案は可決します。なぜか?選挙で選ばれた人たちが議会で話し合って決めるからです。おかしな政治家が増えるのはなぜでしょう?それは、私たちがちゃんと選んでいないから。ちゃんと選ぶための情報を発信するメディアが無いからです。この時『若者代表』のような事をしていた『SEALDs』はどこへ消えたのでしょう。
駅前で反戦を掲げるのは年寄りばかりで、今の情勢や現状を何一つ聞き入れようとしません。
人通りの邪魔になっていようがお構いなしでチラシを渡そうとしますが、誰も受け取りません。

何故そんな日本になってしまったのでしょうか?私は、日本の教育行政の怠慢と、ある団体の問題だと思っています。その団体が『日教組』です。

日教組と言う負の財産

勉強が嫌いになった理由は何でしょう?戦後、日本の優秀な教育者だけが排除されたからでしょう。
これまで日の目を見なかった教育者たちが、大手を振って子供たちの前で平気で国を蔑むような事を言ってました。『戦争』が悪いのであって、『人』が悪いのではありません。そして子供たちが学びたいのは、自分たちの将来の夢や希望を叶える術です。

この間違った教育のせいで、日本では『問題』に対してではなく『問題を起こした人』に対して目を向けるようになります。勉強も、問題を間違った原因ではなく間違った生徒を追及して『私が教えているのだから間違えるな』という教育になりました。そして、その人たちが、教育を担ってきたのですから良い教育者なんて育つはずがありません。

私の父は中学校の社会科の教師でした。生徒たちを連れて休日も遊びに行ったりしていました。今では考えられない事です。父は私が5歳の時脳腫瘍で他界しました。享年38歳です。私は幼少の頃、その生徒さん達といっしょに遊びに行っている写真が実家にあります。

私は、子供の頃、生前の父の話を母から聞いて教師とは生徒が慕うお手本なのだと思っていました。ところが、自分が小学校に通うようになると現実は違うという事に気づきました。
教師は、過去の日本の事ばかり批判し政治への不満を話し、差別や偏見を助長するような事を平気で言います。生徒に好かれる先生は職員室で小さくなり、ベテラン教員たちがタバコをふかしながらしゃべっている光景が今でも忘れられません。

今、どのくらい変わったのかは分かりません。でも、自分だけでなく同世代の人と話すとどこも同じような状態だったようです。
教育現場は、社会の企業とはかけ離れた世界のようです。今思えば、民間と行政のギャップ以上のものを感じます。なぜこのようなことが起ってしまったのでしょうか。


諸悪の根源

報道姿勢にも、新聞社によって違いがありますが不都合を報じない・自分たちの主張を相手が勘違いするような報道で行うなどの新聞社もあります。そんな中、こんな記事がありました。

汚染水誤解  教育と根拠
こんなことが、教育現場で起こっていることは大変ですよね。
もう一度、国の将来にとってどれだけ教育が大切なのかを私たち一人一人が見つめ直す必要があります。教育がまともであれば、行政も民間も質の良い仕事をする人が増えるはずです。

大阪の改革でも、教育行政は問題になりました。組合からの教育に行政は介入するなと言う批判も、大阪の改革の中では吹き飛ばされました。本当の民意は『子供たちに良い教育を受けさせたい』という家族の気持ちです。私の妻は『君が代』をうたえません。それは、当時の大阪の教育機関の問題です。国旗を掲揚しない、国家をうたわない。そんな時代でした。ワールドカップで、オリンピックで掲げる旗は何ですか?流れる歌は何ですか?

今は、2011年に当時の橋下知事が条例を制定し国歌斉唱国旗掲揚が正常に行われています。
行財政改革によって、クーラーの設置や教育費の無償化など本来教師たちが子供たちのために主張すべきだったことを行政が率先してやっているわけです。子供を持つ親の意見を反映させて。

子供に教えるべきは、組合の主張ではなく一社会人として立派に社会に出て人の役に立てるような力を身に付けさせてあげることじゃないでしょうか


日本を正すためには

処理水報告書
物事は、正しく理解し正しく伝えるべきです。その為に専門機関があり、専門家が日々研究や改善を続けているわけです。冒頭の話に戻りますが、『こうあるべき』で、思考停止している人たちは全然リベラルでも改革はでもありません。そもそも理性によって変革しようという人たちが、国会や街頭で汚い言葉や皮肉を言って個人や政府を批判するのですから、『理性』ってなんなのでしょう。
メディアも、週刊誌やネットなど小細工せずに、新聞紙面で堂々と主張すればいいと思うんですね。
日教組1.29

私の考える『理性』がある人なら、まずこの方々の主張に耳を傾けようとは思わないでしょう。

改革とは、維新が大阪でやったように失敗や批判を恐れずに『行動』することだと思います。その行動が多くの人に受け入れられた時に『変革』は起こるでしょう。

日本の教育にも大きな『変革』をしてくれる人が出てくることを期待します。

思考停止して、行動できない人たちに日本の教育は任せられないでしょう。



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