やってはいけないこと
あれから5年。私達は日々いろんな事件の報道を聞きます。なので、もう5年も経ったと思うかもしれませんが、被害に遭われた方々やそのご家族にとっては、そうでは無いのだと思います。ずっとあの時のまま時間が止まってしまった方もいるでしょう。
十善戒をご存知でしょうか?
十善戒(じゅうぜんかい)とは、仏教における十悪(十不善業道)を否定形にして、戒としたものです。
身業
不殺生(ふせっしょう) 故意に生き物を殺さない。
不偸盗(ふちゅうとう) 与えられていないものを自分のものとしない。
不邪淫(ふじゃいん) 不倫など道徳に外れた関係を持たない。
口業
不妄語(ふもうご) 嘘をつかない。
不綺語(ふきご) 中身の無い言葉を話さない。
不悪口(ふあっく) 乱暴な言葉を使わない。
不両舌(ふりょうぜつ) 他人を仲違いさせるようなことを言わない。
意業
不慳貪(ふけんどん) 激しい欲をいだかない。
不瞋恚(ふしんに) 激しい怒りをいだかない。
不邪見(ふじゃけん) (因果の道理を無視した)誤った見解を持たない。
こうしたことを逸脱すると、自分が不幸になるだけでなく人を不幸にしてしまいます。
いろんな生き物にはそれぞれの社会があって、その中のルールから外れると滅んでしまいます。
自然と共存し、様々な生き物との関係を保ちながら生命は存続してきたのだと思います。
人の社会も同じで、やってはいけない事はルールとしてきめられています。文化の違いや価値観の違いは多少あっても上記のような戒めは、人として守るべき行いだと私は思います。
京都アニメーション事件
死刑判決は避ける事の出来ない結果だと思います。犯人の生い立ちや、それまでの行いがあきらかになればなるほど、その身勝手な考え方は被害者家族が憤りを感じるものばかりだったようですね。
掲示板への書き込み、誹謗中傷など匿名でのものは相手が見えません。誰がどこで自分の事をどう思っているのか想像の世界です。ここで、ネガティブな妄想が広がっていくとこんな凶行に走る人も現れるわけですよね。その不満のはけ口として、36人の尊い命が奪われ、今のその傷を負った方々が32名もいらっしゃるわけです。
この人たちの未来への希望は、絶望へと変わりました。
誰にそんな権利があるのでしょうか?
加害者はひとりではない
特定少年への死刑判決も出ました。身勝手な犯行と言う点ではとても類似した犯行です。
『罪』を裁くという事ではこれも死刑は仕方ないと思います。それがルールです。
新聞の記事にも先入観や記者の見解が入るので、そのまま鵜呑みにはできません。ただ、事実として『人を殺める』と言う事はもっとも罪なことだと私は思っています。
凶行走る人は、ある意味社会の被害者かもしれません。でも、一番の被害者は自分の意思とは関係なく、病気や事故でもなく、勝手に命を奪われてしまった方々です。
加害者たちの背景にあるものは
犯行に駆り立てたのは、世の中にあふれる情報です。
『情報社会』というのなら、その規制や法律はもっとスピーディーに作らないといけないし、教育も必要です。道徳教育を無視して、勝手な解釈で好き勝手な行いをしても罰せられないことが今の社会の問題を作っていると思います。
教育がおかしくなった原因の一端に、教員の問題もあります。
大阪でも過去に問題になりました。維新の改革から教育行政も変わってきました。
でも、全国的に見るとまだまだ問題のある地域も多いように思います。
これも、中小企業などの問題に似ていて古い考え方に固執した方々が若い力を邪魔してたりします。
だから、若い人たちのなり手が少ないですよね。希望をもって就職しても、すぐに絶望を感じるような職場にしているのは誰でしょう?
仕事へのやりがいや充実が無ければ、余暇の楽しみもないと私は思っています。
メリハリは大切です。集中して質の良い仕事をし、ゆとりをもって休める社会の仕組みを作るのは、企業のリーダーや行政のリーダーたちが進めるべき課題だと私は思います。
実際のところは、責任の押し付け合いであったり自己都合で働く人たちが見えていない経営者やコンサルタントが多いのではないでしょうか。
私は、自分が率先して行動する姿を見せながら、社会の若い人たちに自分らしい生き方を見つけてもらえたらと思っています。これはそんなに難しいことではないと思います。
目の前に、やるべきことはあるんです。とりあえず、やってはいけない事だけはやらないように気をつけましょう。