脳死と植物人間
私がまだ子供だった頃、『脳死』という話がニュースに登場しました。
昔は『植物人間』の事だと思ってましたが、脳死と植物人間は違うようです。
人の命を左右する判断なので、医師も慎重に行わないといけません。
26年前に『臓器移植法』が施行され、脳死判定された人の臓器移植が可能になります。上記の新聞記事は26年で1000例目の臓器移植が行われたというニュースでした。臓器提供を希望する人に対して、3%くらいしか提供が受けられないのが現状のようですが、この数も徐々に増加しているようです。
ただ、現実問題として臓器提供の意思を表示している人は、1割ほどと言うのが現状のようですね。
『関心がある人は65%』だそうです。良いと思っても、人目を気にして実際に行動に移せる人は少ないのかもしれませんね。
脳死判定の経緯
移植に関しては、宗教的な理由でネガティブに捉えられることもあります。
輸血すら拒否する宗教もありますから。
日本では、理由や経緯よりも『誰もやらない事』をやると批判されたりマイナスに捉えられがちです。そのため、慎重に脳死からの臓器移植も行われてきたようですね。
はじめての脳死判定からの臓器移植、15歳未満の移植、6歳未満の子供への移植など、いろんな壁を乗り越えて一つずつ進めてきたのだと思います。
世間は、正しい知識や医学的な根拠を抜きに、一部の人達の倫理観や生死観を押し付けて患者さんやその家族を傷つけることが無いように願います。
今後、再生医療などが大きく発展して、このような問題も解決できるようになれば良いと私は思います。
生きることの尊さ
世界中には、移植を待つ人たちが多くいます。でも、実際に移植を受けるまでには臓器によって3年から15年程待たなくてはならないケースもあります。
一つの失われた命から何人もの人たちを救う事もあるでしょう。
生きるということは、とても尊いことです。でも、その後意思を失った身体が命を繋ぎ、助ける事になれば本人もご家族にも良いことかもしれません。
一方で、私たち人間は自分たちの主張を通すために、尊い命を平気で奪ってしまう事もあります。
一つの命から、助けられる命がいくつもあるのに対して、一発のミサイルで何人、何十人の命を一瞬にして奪う事もあるわけです。
一つの命を守るために、いくつもの命を奪ってよいなんて道理はありません。
人が行う最も愚かな行為が『戦争』だと私は思います。
私たちが戦うべき相手は、人間同士でも自然界の生き物でもありません。
私たちが安心して元気で天寿を全うするため、自然界の営みとどう向き合い共存できるのかという『課題』こそが、本来私たちが戦う相手だと私は思います。
お互い命を奪い合い、環境を破壊し、何も残らない行為に予算をつぎ込まない社会になる事を祈ります。
あきらめず、根気よくさまざまな問題解決に尽力したいものです。