消えていく新聞
手品の話ではありません
アメリカ合衆国は、50の州で出来ています。各州(厳密には48の州)には、群があります。日本でも、都道府県の下に市町村があるようなものですね。もっというと『合衆国』なので、一つの州が国のようなもので、群は都道府県のようなものという方が正しいのかもしれません。
郡の数は3007であり、郡相当の地域(county-equivalent)を合わせると3141だそうです。
各郡には地元の新聞があるのですが、その数がどんどん減ってしまい、地域の情報が入らなくなってしまうという話です。
日本でも、『地方紙』といわれる新聞があります。大阪でしたら『大阪日日新聞』というのがありました。これも、『週刊紙』のような状態になっています。
過去10年に、休刊や廃刊になった新聞です。テレビやインターネット、SNSの普及によって新聞のあり方が問われるようになりました。
因果応報
国政を非難したり、過激な報道をしたり、今、マスコミ全体に対する疑問や不信感も広がっています。
やってきた事が跳ね返るのは当然の事です。『情報を発信し、多くの人々に伝える』のは、金儲けの為ではないのです。
結局、金もうけに走り、情報を必要とする人たちを助けるという役目を果たしてこなかった結果、より多くの情報をいち早く手に入れられる媒体にとってかわられることになったということですよね。
おごりと出遅れ
いち早くデジタル化に舵を切ったところもあります。
大手新聞社などは遅い方で、ゴシップ系の週刊誌とかは早かったですよね。
社会の情勢をいち早く読み取って、世の中に発信するはずの新聞やテレビのマスメディアが、いつの間にか週刊誌の情報や個人の発信する情報にすがって報道している状態です。週刊誌ネタで国会質問するような議員まで出てきていますから、日本がどれだけ情報に脆弱な社会なのかと思ってしまいます。
ネット情報で、あれこれと言うのは私のような素人レベルで十分じゃないでしょうかね。『事件は現場で起こっているんだ!』って、ドラマのセリフを思い出します。
全うするのが仕事
バブルの反省が本当に生かされているのかと思うことが、たくさんあります。
この法人税の問題もそうです。
宗教問題は、やっと『統一教会』問題から少しずつクローズアップされつつあります。
でも、報道がこれらの問題に対して国民が納得いくまで報道し続けるかどうか疑問です。やったらやりっ放し、報道したらしっ放し。誤報だろうが、スクープだろうが、物事は、いつどこでだれがなにをして。。。。『どうなった』で完結です。
こうした報道も見ます。ただ、しっかり取材して期限を切って完結してほしいものですね。私の周りにも、散々愚痴や不満だけを言って、どうしたいのかどうしたらよいと思っているのかさっぱりわからない人とかいます。
私たちの周りの情報が、こんな状態だから仕方ないのかもしれません。
いまの新聞社に代わる正しい報道ができる仕組みがほしいですね。