17年と9ヶ月、一緒に暮らしてきた愛犬が亡くなりました。
義父がいつも可愛がってくれたミニチュアダックスのオスです。
犬を飼う友達の中では『虹の橋を渡ってお空に昇る』と言います。
人が死んだとき、私たちは故人が成仏するとか、天に昇るとか、あの世に行くとか言います。実際誰も行った事のない場所ですから、本当にあるのか無いのかは私にはわかりません。
お葬式や法要を行うのも、忙しく準備をしたり段取りすることで悲しみを紛らわす意味もあるという方もいらっしゃいます。
時間が解決してくれる悲しみもありますが、悲しみに囚われないように昔の人は、故人を偲んだのかもしれませんね。
義父が4月に亡くなった時、少しだけ死生観が変わった気がします。そして、今回、愛犬の死を経験して、『生きるという事』『死ぬという事』について、より自分の考えが変わったように思います。
亡くなった人が戻る事はありません。これは、愛犬も同じです。
亡くなるまでの間、介護や経済面などで大変なことも多かったと思います。
愛犬は、人間の言葉をしゃべれませんから、何を考えているのかは想像でしかありません。きっと幸せを感じていてくれただろうと割り切るしかないですよね。
精一杯の事をしたつもりなので、義父や愛犬への思いに悔いはありません。
動物にどれだけの『生死観』があるのかわかりません。でも、必死に最後まで生きていました。なくなる3日前までがんばってご飯を食べて排せつして。
この姿を見ると、『生きる力』とは、尊くまた儚いものだと思います。
亡くなる事で、私たちは悲しみます。
なぜ悲しいのでしょう。
それは、『失う』という悲しみだと思います。
『失う』ということは、当然悲しいことです。これまで、『当たり前にあった時』には気づかなかった悲しみです。その時に、後悔とか、反省とかどうしても無念な心境になりがちです。
でも、これも新たな旅立ちであり、『生まれ変わる』ための一つの区切りです。
このように昔の人も考えたのかもしれませんね。