AIと言葉
新聞などで、近年よく取り上げられるようになったのが『AI』技術の話。
人間の想像力はすごいと思います。
携帯電話とか、テレビ電話とか現実に起こっています。100年前の人達の未来予想以上に進んだ技術も沢山ありますね。
壁掛けのテレビとか、自動改札機とか。今では当たり前のことを、私が生まれた50年前誰が想像していたでしょう。
そう考えると、最初に出てきた『音声AI』の技術などは、そんなに驚くことではないかもしれません。そして、『なりすましなどの悪用』の問題も、そんなにAI技術の向上とは関係ない気がします。正直、騙される理由は騙される人の意識や普段の行いにあると私は思っています。思い込みが強ければ簡単に騙される人なんて山ほどいるでしょう。
思いはどうして生まれる
人工知能は、あくまで人が作った道具だと私は思います。
標準化できる作業はできるでしょう。でも、人の言葉をいくらまねてもそこに魂を込めることは出来ないんじゃないでしょうか。
目で見て耳で聞いて心で感じてはじめて『聴く』事だと思います。
音だけ真似て信じてしまうのは、『聴いてないから』だと思います。
相手の気持ちを理解するのはそんなに簡単なことじゃないと思うんですよね。
聴く側が、相手に『傾聴』しないと相手の気持ちは伝わりません。
意図的に相手を欺こうとすれば、相手も警戒するのが必然です。
それに気づいていない人もいます。
あえて、『伝わっていない』と言わない人の方が多いと思います。
どんな仕事でも、行う人の心がこもった言葉や思いが必要です。
機械は便利ですが、その機械にも、たくさんの作り手の人達の思いが込められています。機械の思いではなく、開発した人、組み立てた人、手入れする人などなど。
機械化がどんなに進もうとも、機械のおかげで効率よくなってやることが変わっていくだけでしょう。仕事はなくならないと私は思います。より良い仕事とは何か、考えるゆとりが大切なので、今やっている事だけに囚われず想像力を育みたいものですね。
介護の現場でも、効率化を進めているようです。その目的は、より良い介護を介護職が行えるようにしようという思いからだと思っています。
単に『効率化を進めて利益を上げる』というのが目的ではないと私は思いますね。
なぜ、マスコミはAIや機械化が人の仕事を奪うとか、脅威になるみたいなことを、ネガティブに書くのか不思議で仕方がありません。
言葉にこころは宿る
ことだま『言霊』は、言葉はただの音ではないという考え方ですね。
物事に影響を与えるほどの強い力があると言われます。
確かに、『気は心』とかいいますし、『プラスの言葉、マイナスな言葉』など自分でも感じた経験はあります。支えになった言葉とか、救われた言葉とかありませんか。
非科学的な考え方かもしれません。
でも、『科学的』な考え方はいつからやっているのでしょう。
その『科学的』な考えがなかったときから、万物は存在していたのではないでしょうか。もっと目の前の景色や空気を感じて生きていきたいものです。
あまり、未来をITやらAIやらだけに囚われず、悲観的にならないようにしたいですね。