私は、合気道の道場で開催されている『氣』の講座というものに2年半ほど通ってまして、その際に学んだことを少しお伝えしたいと思います。
争う必要はあるのか
争って勝つは勝の下なり
勝って争うは勝の中なり
争わず勝つは勝の上なり。
争わざるの理(ことわり)と言います。
世の中には、この『争って勝つ』為に、様々な兵器が開発されたり、使用されたりしています。必ず双方に痛みを伴うのが『争う』と言う事なのだと思います。
戦車とか、ドローンとか、大砲やミサイルなどウクライナのニュースでよく見ますよね。
破壊された兵器や、破壊された街をみると争う事の愚かさみたいなものを感じます。
ものの見方、考え方
例えば、ロシアの戦車は一台約4.5億円程だそうです。因みに、自衛隊の最新鋭戦車は一台9.5億円(世界で二番目に高い)だそうです。
そんな戦車が、設備と部品さえあればわずか数日で作れるというから驚きですよね。
災害の復興や、原発の処理には時間がかかるのに、街や環境を破壊する兵器はあっという間に作れてしまうのは、皮肉な話。
このお金を、福祉や環境に投資できたらどれだけたくさんの人が幸せになれるのかなと思ったりもします。
潜水艦一隻が800億円だそうです。それだけの金額があれば、どれだけの数の介護福祉施設の設備を整えられるか。
介護職の業務改善や人材育成ができるか。子育て環境を整えられるか。
学生の奨学金返済免除とか、教育費の無償化とか。
実際に必要な支援がどれだけあるのか分かりませんが、無駄に作って壊すような武器にお金をかけるよりは、社会問題に対してお金を使った方が、よっぽど値打ちがあると思います。
台風や地震などで被害を受けた地域の復興に、どれだけ設備や人とお金をかけられるかも大事ですよね。
武器なんか作らなくても、作らなきゃいけないものはたくさんあるし、研究する課題もたくさんあるはずです。そこにお金を使った方が、みんな喜ぶと思うんですけどね。
遠い世界の話ではなく
見る角度を変えて、見渡してみると私たちの周りにも余計な争いごとは無いでしょうか?
利己主義的な、足の引っ張り合いや無駄な意地の張り合いとか。
例えば、誰かを、どこかの国や地域を、非難したり差別したり、見下したりするような表現とか。陰でコソコソと差別を助長したり主張する人達もいます。
私はサプリメントの仕事をしている時に、何度も他社から批判されたり、攻撃されたことがあります。知らぬ間に私も、誰かを批判したり、攻撃していたのかもしれません。
でも、今思えば、そんなものの売り方や伝え方は間違っていると思います。
そこから良いものは生まれないし、一番困るのは、良い商品を探しているお客様や良いものを作ろうと努力している作り手の方々だと思います。
これは、サプリメントに限らず、何か自分だけ得したり優位に立ちたいと思った時に起こる事なんじゃ無いかと思うんですよね。
不利な立場に立った時、自分を正当化する為に、批判した相手を攻めたりして争う事になるかもしれませんよね。人の弱さかもしれません。
安易な豊かさは、人を我慢や思いやりを失わせ、心を弱くしてしまうように思います。
いかに争わずに、その状況を打破していくか。
これこそが、『争わざるの理(ことわり)』だと思います。