情報発信の大衆化の問題
こうして私も、情報を発信する側になる時に注意していることがあります。
不確かな情報は、不確かであることを伝える。
個人的な考えや主張を、不確かな内容や、誤解するような書き方、あるいはフェイクによって正当化しない。
正確であろう情報でも、その情報の責任の所在は確認する
公的機関や企業などが公式に発信しているものであるのか。
正直、それを勝手に情報操作しなければ世の中に正しい情報の発信になるわけなのである意味これも社会貢献だと思います。
反応に期待しない
誰かのためになれば良いだけなので、それを『自分の影響力』みたいに考えるのは、私は違うと思っています。週刊誌のまねごとのように、人の反響を求めるような情報ではなく必要な人に必要な情報を発信できればいいと思います。
私も、自分の経験してきたことからしか発信できません。でも、これからもいろんなことを学び、経験からお伝えできることは沢山あると思っています。
信頼関係を悪用しない
信用とは何でしょう?たとえば、『アラブの春』のように民衆を動かすほど人の心を揺さぶる発信もあるかもしれません。
でも、アメリカのホワイトハウス襲撃事件や、記事にもあるブラジルの件など、暴力や人々の混乱、分断、差別を助長するようなことは絶対にあってはならないと思います。
なので、今のメディア報道などに疑問を持つのは、『発信者の品格』
人に何かを伝えるときには、『責任』と『覚悟』をもって行うようにしましょうね