大阪に来て30年以上になります。
小さなエピソードは少し省いて、ざっくりとこれまでの転機について。
母親への恩返し
調理師学校を卒業後、勤務地は神戸でした。
1年間の学校でしたが、1日も休む事なく真面目に取り組む姿勢は評価していただきました。
学生の頃はこんなに真面目に取り組む事なんでほとんどなかったのに。兄は伊勢の大学に行き、経済的に余裕のない母の為にも早く就職して安心させたいと言うのがこの時の思いでした。目標を持つと言うのは大切な事ですよね
真面目にやれば何事もうまくいくかと言えばそうではありませんが、目標に向かって取り組む姿勢は、人の心を打つこともあります。
今の時代は、私が調理師をしていた時よりは、学びやすいし理不尽な職場環境もだいぶ改善しているのではないでしょうか。
阪神淡路大震災
私の職場は、東灘区岡本というところにありました。東灘区は家屋の倒壊が多く、阪神高速のある海側では高速道路の倒壊や大規模な火災にも見舞われ大変だった地域です。
今でも、こうして生かしていただいたことに感謝しています。どんな困難であれ、生きてさえいれば良くなる可能性は残るわけですから。
新たな配属先での出会い
大阪のイタリアンに転属となりましたが、正直気持ちはどん底で、生きる気力もない時でした。
そこで、今の妻と出会う事になります。一緒に仕事をした期間はそんなに長くありません。でも、もう25年以上一緒に過ごしてます。この出合いで私の人生は大きく好転したと思っています。
自分の将来の模索
生活していく為には、働いてお金を稼がなくてはいけません。大金持ちになって楽をしたいとか、楽して稼ぎたいとか安易に考えがちだった20代前半でした。
その日その日を稼いだお金で過ごすものだと言う生き方が当たり前だと思ってたんですよね。
真面目に自分が頑張ることだけしか見えず、世の中を俯瞰的な目で見わたすことが出来なかったと、今になると思います。
実家の母の体調が悪くなり一度実家に帰る事になり、調理師をやめました。
自主退社でしたが、総務の方はその後の手続きを丁寧にやっていただきました。
辞める時に、周りの人たちが急に優しくなったように感じることがあります。それは、さまざまな要因で周りが見えなくなっていた自分の気持ちに、少しゆとりが生まれるからなのかも知れないと思いました。
ここから、中々就職せず、当時一気に増えた派遣アルバイト的なもので生活していました。
それでも、妻と結婚する為に少しでも稼げる仕事は模索していました。
就職、結婚、健康
自分の理想の職場、理想の相手との結婚、いつも健康であることがあたりまえでは無いですね。いろんな人の支えや協力があって、社会は成り立っています。
28歳でやっと健康関連の仕事に就き、翌年に結婚、18年前に別の会社に移り、昨年までサプリメントの販売や企画開発、取引先へのサポートなどを行ってきました。
取引先にも恵まれ、業界の悪しき慣習に染まることなくさまざまな事を学んでこれたのは、周りの方々のおかげだと思います。
おかげさまを大切に
業界に対して、社会に対して思う事は色々あります。ただ、この歳になってやっとこの思いが自分の独りよがりなのかそうで無いのか何となくわかってきたように思います。そして、これから社会に貢献する為には、福祉や介護についてもっと勉強する必要があると思いました。
これからの時代、年齢や性別や価値観にこだわらず、相手をリスペクトしつつ自分のやりたい事に向かって進んでゆく事が大事だと思います。私は、自分がこれまで関わってきた仕事や関わっていただいてきた方々は全て繋がっていると思っています。
福祉と健康のために
私は、介護福祉士、ケアマネジャーの資格取得を目標にして、福祉と健康で社会に貢献できる仕組みを作って行きたいと思っています。
これまでの経験とこれからの活動を自分の糧に、本当の社会貢献に繋げていきたいと考えています。
皆さんは、この世の中がどうなっていったら良いと考えますか?自分には何ができると思いますか。私は神様でも仏様でも無いし、本当の答えはわかりません。
ただ、答えは『こうした方が良いだろう』と言う思いと行動からしか出てこないのでは無いかと思います。
その為に、発信し続けて行きたいと思っています。理論的な答えではありませんが、後から決めた理論や価値観なんて、人間のほんのわずかな歴史の中でどんどん変わって行くものですよね。
自分でやってみて感じた事や、経験した人の正しい情報は、きっと役にたつと思います。